スペシャルコラム

「近代史の舞台となった日本のホテル」 富田昭次 著

第二章 ホテルはいつも人々の経済・文化活動を支えてきた

西洋文化がまだ十分に浸透していなかった時代、ホテルは、明確な利益を望める業種とは言いがたかった。今日のベンチャー・ビジネスのような位置にあった。だが、都市や地域の発展を図り、近代化を目指す上で、人々の経済・文化活動の拠点となるホテルは必須の施設だった。したがって、政治家や知名士ら指導者の進言と、先見の明をもった事業家の勇気ある投資によって、ホテル開発が進められていった。

【おもなホテルの開業とその開発の経緯】

1860年(万延元年) 横浜ホテル開業 オランダ人C・J・フフナーゲルが日本家屋を改装して創業。ビリヤード室や酒場なども備えていた。

1868年(慶応4年・明治元年) 築地ホテル館開業 築地居留地の開設に伴い、開発。東京の新しい名所として、多くの錦絵に描かれる。建設を手がけた二代清水喜助(清水建設の創業者・初代喜助の娘婿)が経営にも乗り出した。1872年の大火で焼失。

同年 自由亭ホテル開業 翌年開業の説も。大阪・川口居留地内。草野丈吉が大阪経済界の指導者となる五代友厚の命を受けて創業。草野は、その6年前に長崎で西洋料理店「良(りょう)林(りん)亭」(後の自由亭)を開業した人物。「日本人初の西洋料理店シェフ」とも称されている。

1869年(明治2年) 延遼館竣工 東京の浜離宮内にあった石室という建物を迎賓館として改装。この年、英国王子エジンバラ公アルフレッドが国賓第1号として宿泊。計13人の国賓を接遇した。21年後に解体。近年、復元計画が持ち上がったこともある。

1870年(明治3年) オリエンタルホテル開業(注1) ドイツ人が神戸居留地内に設ける。六甲山にゴルフ場を創設するなど六甲山開発にも名を残したアーサー・グルームが一時期経営。東洋汽船が経営した時代もあった。

1873年(明治6年) 金谷カッテージ・イン開業(日光金谷ホテルの前身) ジェームズ・ヘップバーン(ヘボン博士)の進言で、金谷家がホテル業に乗り出す。

同年 グランドホテル開業 関東大震災まで横浜で随一のホテルとして営業(明治3年に同名のホテルが開業したが、別資本で新築)。

1878年(明治11年) 富士屋ホテル開業 「実業の道に進め」との福沢諭吉の進言により、山口仙之助が箱根・宮ノ下で創業。5年後の大火で類焼したが、仙之助の熱意で再建。

  • グランドホテル
  • グランドホテル

1880年(明治13年) 豊平館竣工 開拓使官営のホテルとして建設された。翌年、明治天皇の行在所に。1922年(大正11年)にはアインシュタイン博士が宿泊した。現在は札幌市民ホール。

1883年(明治16年) 鹿鳴館竣工 舞踏会の会場として有名になったが、ホテル機能を備えていた。明治政府(井上馨)から招聘されたドイツ人建築家ウィルヘルム・ベックマンが1886年(明治19年)に宿泊。このほか外国貴賓の宿舎として利用される。

1887年(明治20年) 鎌倉海浜院開業 サナトリウム(結核患者向けの療養所)として建設されたが、規則が厳格で敬遠され、1~2年後に鎌倉海浜院ホテル(後に鎌倉海浜ホテル)として再スタート。当初からホテル代わりに利用する外国人がいたという話も。

  • 鎌倉海浜院ホテル
                                  

1888年(明治21年) 陸奥(むつ)ホテル開業 日本初の私鉄、日本鉄道が仙台駅前に設けた。島崎藤村や高山樗牛は3階建てのこのホテルを見て、「大廈高楼」と表現して驚いたという。

1890年(明治23年) 帝国ホテル開業 外務卿(外務大臣)を務めた井上馨が財界に迎賓館的なホテルを要請して、鹿鳴館の隣に建設される。理事長に渋沢栄一(株式会社に改組された3年後には取締役会長となり、1909年まで務める)。

同年 常盤(ときわ)ホテル開業 京都ホテル(注2)の前身。伊藤博文と親交のあった前田又吉が創業した。伊藤の肝煎りで計画されたようだ。

同年 吉水園開園 都ホテル(注3)の前身。ホテルの開業は1900年(明治33年)。吉水園の創業者は種油商の西村仁作、運営は息子の仁兵衛により行なわれた。ホテル業に乗り出したのも仁兵衛の手腕によった。

1894年(明治27年) 軽井沢の亀屋旅館、亀屋ホテルに改装(万平ホテルの創業)1886年(明治19年)に英語教師ジェームス・ディクソンがひと夏、亀屋に滞在したのがホテル創業の契機に。

同年 名古屋ホテル開業 高田金七が富士屋ホテルの山口仙之助に教えを請いながら建てた。棟梁を神戸に派遣して外国人の生活様式を調べさせたともいう。

1896年(明治29年) 仙台ホテル開業 仙台市で旅籠を営んでいた大泉屋の15代・梅治郎が手がけた。この7年後には仙台ホテル列車食堂部も創設している。

  • 名古屋ホテル 
  • 仙台ホテル

1898年(明治31年) 長崎ホテル開業 英国商人フレデリック・リンガーやトーマス・グラバーらの発起で設立されたという。市内では最も豪壮な赤レンガ造りの建物だった。

同年 大阪ホテル開業 1881年(明治14年)より中之島で営業していた自由亭ホテルの支店の改築。3年後には大阪倶楽部に買収され、大阪倶楽部ホテルとなる。1901年(明治34年)には火災で焼失、再び大阪ホテルとして再建された。

  • 大阪倶楽部ホテル 
  • 大阪倶楽部ホテル
  • 山陽ホテル
  • 山陽ホテル(2代目)
                      

1902年(明治35年) 山陽ホテル開業 サービスに定評のあった山陽鉄道が当時交通の要衝だった下関に開設。列車や関釜連絡船の一等客である知名士、政治家、軍人らが多く利用した。記者会見もたびたび開かれたという。

1909年(明治42年) 奈良ホテル開業 迎賓館的な役割を果たすべく、檜をふんだんに使い、豪華な桃山御殿風の意匠を取り入れて建設。南満州鉄道総裁時代にホテル開発を重視した鉄道院総裁・後藤新平の意を受けての開発だったという。

1915年(大正4年) 東京ステーションホテル開業 東京駅舎内という画期的な立地で評判に。ホテルを設けるかどうかでは紆余曲折があり、鉄道院の木下淑夫が尽力した。

1922年(大正11年) 熱海ホテル開業 創業者の岸衛(まもる)によれば「熱海と伊豆山の間のジャングルの中に建設」、新しい立地を開拓した。開業直後に後藤新平とロシア(ソ連樹立の直前)の革命家ヨッフェの会談が行なわれ、ホテルの存在に注目が集まったという。終戦後、岸は熱海市長に就任、『観光立国』を上梓した。

  • 熱海ホテル
  • 熱海ホテル

1924年(大正13年) 丸ノ内ホテル開業(注4) 全183室の6割以上の客室をシングルにし、軽装備のホテルとして開発された。この前年、丸ビルが完成しており、新しいオフィス街の商用客を重要な顧客として見込んだ。

1927年(昭和2年) ホテルニューグランド開業 関東大震災で横浜のホテルが壊滅的な被害を受けたため、横浜市会と財界の要望により建設される。

1928年(昭和3年) 川奈ホテル開業 イギリス滞在10年の経験がある大倉喜七郎が開発した日本有数のゴルフ・リゾート。大島コースが完成し、クラブハウスが川奈ホテルと命名された。ホテル棟は1936年(昭和11年)完成。

1929年(昭和4年) 六甲山ホテル開業(注5)宝塚ホテル(12ページ参照)の支店として、また阪急グループ創始者・小林一三が京阪神の人々のためのオアシスとして建設。

1930年(昭和5年) 長野ホテル犀北館洋館完成(注6)1827年、松田屋として創業。犀北館は書家巌谷一六の命名、洋画家中村紀元らが装飾に関与。芸術家との縁が深い。

1933年(昭和8年) 上高地帝国ホテル開業 日本初の本格的な山岳ホテルで、当初の名称は上高地ホテル。帝国ホテルの大倉喜七郎会長が長野県を旅行中に県知事に面会を求められ、開発を承諾した。「神河内帝国ホテル」と表記されたこともあった。

1934年(昭和9年) 蒲郡ホテル開業 繊維業の瀧信四郎が天然記念物・竹島を望む高台に建設。城郭風の建築美を誇る。現在の名称は蒲郡クラシックホテル。

同年 琵琶湖ホテル開業(注7) 設立時には84人の株主が集まり、多方面からの協力を得て開発された。建物は風致地区・柳が崎の景観と調和した桃山風の破風造りとなった。

同年 札幌グランドホテル開業(注8) この6年前に来道した秩父宮の「冬季オリンピックが必ず開催されるから、ホテルをぜひ建てなさい」の発言で、開発機運が高まる。

1935年(昭和10年) 雲仙観光ホテル開業 明治時代から外国人が訪れるようになっていた雲仙だったが、この前年、雲仙が瀬戸内海や霧島とともに、日本初の国立公園として指定される。そこで、長崎県がさらなる観光振興のために建設したのがこのホテルだった。

同年 新大阪ホテル開業(注9) リーガロイヤルホテルの前身。創業時、役員10人のうち9人が貴族院議員で、「西の迎賓館ホテル」を目指した。一部の客室に冷房設備。

1937年(昭和12年) 赤倉観光ホテル開業(注10) 国際スキー・ホテルとして、帝国ホテルの支援を得て開発された。帝国ホテルの大倉喜七郎会長が自らフォード社製の雪上車を導入して、来訪者の便宜を図った。また、高原リゾートホテルとしても注目された。

(注1)明治時代から続いたブランド、オリエンタルホテルは1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受け、一旦閉鎖された。現在のオリエンタルホテルは再開発プロジェクトにより、2010年、(株)Plan・Do・Seeの経営で新築・開業したもの。
(注2)現在の建物は1994年の完成。また、現在の名称は京都ホテルオークラ。
(注3)1960年末に新本館が完成。現在の名称はウェスティン都ホテル京都。
(注4)丸ノ内ホテルは創業の地から移転し、2004年に現在地で再開業した。
(注5)当時の建物は老朽化と耐震上の問題から閉鎖、現在規模を縮小して営業(2017年末休業予定)。
(注6)当時の建物は解体されたものの、装飾を生かした現在の本館が1995年に完成。
(注7)創建時の建物は現在、びわ湖大津館。ホテルは場所を移して建設され、1998年に開業した。
(注8)創建時の建物は解体され、1966年に本館が完成した。
(注9)新大阪ホテルは1973年、営業に終止符を打ち、その経営とブランド大阪ロイヤルホテル
(1965年開業・名称は当時)に受け継がれた。
(注10)赤倉観光ホテルは1965年に火災に遭い、その後、同じ設計で再建された。

続く。

第三章 ホテルは新しい世界への入り口だった